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妙典の歴史

掲載日:2009.03.13 妙典店

妙典という地域には、「河原」があります。
この河原から「妙典」が別れました。

「河原」とは、旧江戸川が形成した河川敷のことで、昔はかなり広い範囲を占めていました。
この地域を領有していたのが、篠田雅楽助清久という人。
この人は1564年国府台合戦に参加して北条氏康に味方して戦功を立てた恩賞として「河原」の地域を与えられました。

それで、自分の館を建て、河原の開発にあたった。

持仏堂を置いたり、八幡社を鎮座した結果現在でも妙典の鎮守として八幡社は祀られています。

この人の子供(宗久)の代になると豊臣秀吉によって北条氏は滅亡、関東の地域は徳川氏が納めることになり、宗久は、お父さんや北条家の慰霊として寺院を建てた。

このお寺が日蓮宗の妙栄山好寺だそうです。

「河原」から「妙典」が離れたのはこの妙好寺が建てられて以後のこと。

妙好寺は日蓮宗であり、
日蓮宗が「南無妙法蓮華経」と唱えたように、
「法華経は妙なる経典」であることから生まれたのが「妙典」の地名。

江戸時代の書物にも
「妙典とは、法華経をいふ也。妙は妙法也。典は爾雅経也。当村の名は尊き名也。」
と記されている。

その後、篠田家は塩田開発の事業にあたった。

妙典は、篠田家を中心とした塩田開発によって発展したと言ってよいでしょう。

歴史について長く書きましたが、
こんな古くから歴史のある町なのに、現代では東西線妙典駅が出来てからまだ間もないということで新しい街として生まれ変わっています。

「歴史のある新しい街」に足を運んでみてください。

ちなみに、宮本武蔵が妙典で亡くなって、塚を築いて葬ったという話も残されているらしい…。

~インターネットから~












開発前の妙典

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